2022年3月19日土曜日

3月20日礼拝メッセージ「 神の力強い御手 」

 メッセージ「 神の力強い御手 」

  「あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。 5:7あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(ペテロ第一5:6)

1)神の力強い御手

 神の御手とは、次のように聖書にかかれています。

 ①試練の中から、私達を救い出す御手

  ②迷わないように、私達を導く御手

 ③敵の攻撃から、私達を守る御手

2)へりくだる

力強い御手の下にへりくだることは

 ①重荷を委ねること

 マタイ11:28  すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしの ところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。

②謙遜を身につける

  箴言18:12 人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。

 ヨハネ13:14主であり師であるこのわたしが、あなたがたの足を洗っ たのですか ら、あなたがたもまた互いに足を洗い合うべきです。15わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするように、わた しはあなたがたに模範を示したのです。

3)丁度良い時に高くしてくださる

「回復させ」「堅く立たせ」「強くし」「不動の者」としてくださる



2022年3月12日土曜日

3月13日メッセージ「安息の祝福」

雪の下で春をまっていた福寿草が、雪解けの合間から顔を出し始めました。



メッセージ「 安 息 の 祝 福 」

  

 「神の安息に入る人は、神がご自分のわざを休まれたように、

  自分のわざを休むのです」(ヘブル4:10)

 「すべて疲れた人、重荷を負っている人はわたしのところに来なさい

  わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)


◎安息日の祝福

 「こうして天と地と、その万物は完成された。神は第7日にその仕事(メラハー)を完成された。すなわち、そのすべての仕事を終わって第7日に休まれた。神はその第7日を祝福して、これを聖別された。」 

 私たちの心とと体は、安息日を必要としています。休むと疲れが取れ、病気にならなくて済みます。新しい力が与えられるのです。ですから、休まずに働き続ける人よりも、実はもっと多くの仕事を、それも正しくすることができるのです。

 自分のわざをやめて、神によって休み、自分自身を神に委ねることにより

聖霊が私たちの「うちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる・」

「私は自分の内に力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。」(コロサイ1:20)

◎安息日は罪からの解放記念

  第一ペテロ1:2「父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たちへ」

 クリスチャンとは神の子羊であるイエス様の血の注ぎかけを受けている人たちです。ですから、私たちは世の力、罪の力、悪魔の力からイエス様の血潮の力によって解放された者であることを覚えましょう!安息日にはそのことを覚え、神様を精一杯賛美し、精一杯感謝します。聖餐式はそのことを覚えて行います。

◎安息日は善と愛を実践するためにある。

イザヤ58:13~14には次のように約束されています。「もし、あなたが安息日に出歩くことをやめ、わたしの聖日に自分の好むことをせず、安息日を『喜びの日』と呼び、【主】の聖日を『栄えある日』と呼び、これを尊んで、自分の道を行かず、自分の好むことを求めず、無駄口を慎むなら、14 そのとき、あなたは【主】をあなたの喜びとする。わたしはあなたに地の高い所を踏み行かせ、あなたの父ヤコブのゆずりの地であなたを養う。──【主】の御口がそう語られる。」


 

2022年3月5日土曜日

3月5日メッセージ 「気前がいい主人」

  




イエス様が「天の御国は、自分のぶどう園で働く者を雇うために、朝早く出かけた主人のようなものです」と語られた「天の御国」のたとえ話です。

 主人はぶどう園で1日デナリで賃金を支払う約束で労働はを雇います。早朝、朝9時、昼12時、午後3時、夕5時と広場で何もしないで立っている労働者を雇用します。一日労働を終えて賃金の支払いに当たり、賃金を遅くに来た人から順々に等しく1デナリづつ支払います。

 朝早くから来た労働者から「なぜ、たった1時間しか働かない者と、1日中働いた自分が同じ1デナリなのか!」、主人の答えは「自分のもので自分のしたいことをしてはいませんか?それとも,私が気前がいいので、あなたは妬んでいるのですか?このように、『後の者が先になり、先の者が後になる』」と語られました。

◎神様は、一人一人に定められた働きの場を備えておられる

   このたとえで1日は一人一人に与えられている一生を現しています。

 「ぶどう園での仕事」は、一人一人に主から託されている働きです。

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、 ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント10:31)

 「 しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マ リヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけま せん。」(ルカ10:42)


◎天の御国(贖いの恵み)はどのような人にも公平に開かれている

 『後の者が先になり、先の者が後になる』

  「そして,彼はそこをたち,父親のもとに行った。ところが,まだ遠く離  れていたのに,父親は息子を見つけて,憐れに思い,走り寄って首を抱  き,接吻した。」 (ルカ15:20)


    放蕩息子のたとえ話にも通じます。イエス様は、罪人、収税人、遊女、  重い皮膚病に侵された人など、当時の常識では、付き合ってはならない  人との交流を持ち、食事を共にし、ときには触れて癒されました。

  砕かれた心で主を求めるすべての人に天の御国の扉は大きく開かれてい  ます


  「なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイ  エスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは 救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われる のです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられる  ことがない。」「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる。」ので す。(ローマ10:10-13)