2021年11月26日金曜日

11月28日 アドベント第1週礼拝 「御子を相続する者」


    朝、雪がうっすらと積もっていました。クリスマスアドベントに入り

   雪化粧したチャペルは今日から、クリスマスアドベントの礼拝が始まります。1本目のキャンドルに灯火され、クリスマスを待ち望みます。

本日のみことばは、ヨハネの手紙第一5:11-12 「その証とは、神が私たちに永遠のいのちを与えてくださったということ。そして、そのいのちが御子のうちにあるということ。御子を持つ者は、いのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。」

クリスマスの喜びを分かち合える恵みを感謝します。

創造主であり、栄光の御座におられる主自らが、罪深い人間の世界に

完全に人となって私たちの間に住んでくださいました。

私たちの心が汚れて傷つき貧しい状態であっても

馬小屋の飼い葉桶に寝かされた救い主は、喜んで住んでくださいます。  御子を持つということは、救い主キリストを相続することです。彼を救い主として迎え入れることです。永遠のいのちとなって私たちの心の王座に住んでくださいます。

神の子としてのいのち、力、神の満ち満ちたご性質を受け継ぎます。畏れ多いことに、神ご自身を相続した、とっても過言ではないのです。

世の富、財産を相続した、となるとなにか凄いことのように聞こえますが、

キリストを相続することは全世界、全宇宙を相続するよりもはるかに物凄いことです。

それがどれほど栄光に富んだことか想像できないレベルのことが

実は信仰者には起こっていることに驚きです。


ABシンプソンが作った賛美「神の子なるイエス」に、イエスを心に迎え入れ、キリストを相続することの素晴らしさが歌われています。

聖歌592 ①神の子なるイエス 我が心に住まわせたもう妙なるかな!!

     ※我が内に主はいます 奇くしくも妙なり!

     我が内にいます主は 来たるべき王なり!

          ②かくも主は悩み かくも愛し 主の花嫁と われをなしぬ

          ③されど幾たびも 主を苦しめ畏き御旨 われは裂きぬ

          ⑤イェスはわが持てる 全てなれば 乏しきことも 弱きもなし




2021年11月20日土曜日

11月21日礼拝メッセージ「みこころに叶った願い」



晩秋の夜空に、隊を組み列になって飛んで来る白鳥の鳴き声が響いています。シベリアから白鳥が帰ってきました。
近くの高松の池を散歩すると、たくさんの白鳥が羽を休めている姿を見ます。「無事に帰ってきたね。お帰りなさい。」と思わず、声をかけてしまいました。
岩手の秋は駆け足です。
そろそろ初雪が降る時期になりました。

本日の聖書のことばは
ヨハネ第一5: 14 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」です。

大好きなワーシップ「喜べ叫べ」の2節に
「♪主は私たちを用いて御業を成し遂げられる、♪主の救いを全地に伝えよ。
さぁ、声を上げて♪」と歌います。
無から有を創造され、天地を治めておられる全能の主が、欠けだらけの私たち、小さな私たち、罪赦された罪人である私たちを、主の働きの一端に加わらせていただけるとは、
なんとドラマチックなことでしょう。
イザヤ6:8「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

のみことばのように、神を愛し神の働きのために共に働くパートナーを、主は求めておられ、招いてくださっています。
「人の主な目的は何ですか?」「人の主な目的は神の栄光を現し永遠に神を喜ぶことです」
(小教理問答集)
ここに御心にかなった願いとは何か答えがあります。

滝元明先生の「我土方なれど」の本は、私の大切な宝物です。表表紙の裏に
〝足の裏でもいい。神の栄光のために生きよう〟と直筆のサインがあります。
足の裏は全身の中で誉められることのない部分ですが、最も大切な部分の一つです。
人から認められたり、人の称賛を求める生き方ではなく、
足の裏のように誉められなくていい、ただ、神の栄光を喜び、人々の救いを祈り、そのために生きることが、御心にかなった願い・祈りです。
御心に叶った願いを神は聞いてくださる。
これこそ、私たちクリスチャンの神に対する確信です。

祈りが叶えられることはハレルヤです、
同時に祈りが叶わなかった時は更にハレルヤです。

主はもっとすばらしいご計画を用意してくださっていると期待します。
神は御心に叶った願いを既に聞いてくださっていると知っているからです。
自分の願うタイミングで叶えられないときでも、
主が備えておられる最善の時があるので感謝です。
私たちは生涯工事中です。工事中なのでご迷惑をおかけすることもあります。
私たちを愛しておられる主は私たちの人格(内側)を絶えず工事して
砕かれた謙遜な品性を持つ
御心に叶う器へと工事し、取り扱い続けてくださるので 主に感謝します。


2021年11月13日土曜日

11月14日(日)礼拝メッセージ「光の中を歩む」から


 11月14日(日)  礼拝メッセージ「光の中を歩む」


ヨハネの手紙第一1: 5 「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」

ヨハネ第一1:7「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」


 教会から岩手山がよく見えます。昨日二度目の冠雪でした。

 平地は冷たい雨でしたが、高い山の積雪は裾野にまで広がってきました。

 盛岡では、岩手山に3回雪が積もると平地にも雪が降ると言われます。その通りです。

 平地に雪が降る日もカウントダウンですね。昨日、冬タイヤに交換しました。

 いつ雪が降っても安心です。


  本日の礼拝のみことばです。

ヨハネの手紙第一1: 5 「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」

ヨハネ第一1:7「しかし、もし神が光の中におられるように、私たちも光の中を歩んでいるなら、私たちは互いに交わりを保ち、御子イエスの血はすべての罪から私たちをきよめます。」


① 神は光であって・・・

  幼稚園で先日、収穫感謝礼拝と焼き芋会をしました。

  年長組のお友だちが畑で育てた芋を土がついたまま

    テラスに並べて天日で2週間ほど干しました。太陽の光を浴びると芋はデンプンが増  えて甘くなります。光には不思議な力がありますね。  みんなでホクホクのお芋をおいしくいただきました。

    太陽の光を浴びてサツマイモが甘くなるように、神様の愛の光(聖霊)は、

  私たちの内に御霊の実(愛・喜び・平安・寛容・親切・善意・誠実・柔和・自制)を  豊かに結実させます。

  また、光には殺菌作用があります。

  物置を整理していたら、未使用のタオルがたくさん出てきました。引き出物でいただ  いたまま、物置にしまっていたものでした。使っていないに、湿気ってカビが生え始  めていました。処分するにはもったいないので、洗濯機で洗って、外に干したら、太  陽の光を一日浴びたらでパリパリに殺菌され新品に戻りました。

  聖書のことばは光のように私たちの内側を暖め、清める力があります。

 ②互いに交わりを保ち・・・・

   交わり(フェローシップ)は楽しいひととき、癒やされるひとときです。

 礼拝(ワーシップ)は神様との親しい交わりのひとときですね。

 日曜日、教会で一緒に捧げる礼拝から、1週間が始まります、週日、私たちは泥水の多 い世の中に派遣され、知らず知らずのうちに泥水を飲んでしまっているような状態です。 毎日、毎朝、静まって自分の礼拝の時間を5分でも10分でも聖別して持つことは、

 信仰生活をキープするために大切ですね。

 デイリーブレッドのメッセージをアプリで毎朝、聞くこともいい方法です。時間のない い人も通勤や家事の合間にアプリを活用することもいいですね。  

  ヨハネ第一1:3「私たちの交わりとは、御父および御子イエス・キリストとの交わり です」とありますように、イエス様が心に住んでくださっている兄姉との交わりの中に

 父なる神様、子なるイエス様が共に臨在してくださっています。

 朝の礼拝には仕事のために来れないT兄、K姉も毎週日曜日の夕礼拝で恵まれていま す。先日も証に恵まれました。

 

③パイプ掃除

※ ヨハネ第一1: 9 「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

 先日、排水管が長年の汚れで詰まって排水できなくなり大変なことになりました。専門業者に来ていただいたら、あんなに悩まされた排水管が短時間できれいに掃除され、気持ちよく水が流れるようになりました。ハレルヤ!!

  このことからイザヤ59;1の御言葉を思い出しました。

※イザヤ59:1「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。2 あなたがたの咎が、あなたがたと神との間の仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」


 私たちと神様との間の交わりも、心の中に赦せない思いや苦々しい思い、癒やされていない罪責感は、滓がたまっている配水管に似ていますす。神様とのスムーズな交わりが出来なくなり、平安がなくなってしまいます。

詩編19:12~14の御言葉は、私の毎朝の祈りです。バイクで通勤しながらこの御言葉を

ひとりで唱えています。

*詩編19:12 「だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。どうか、隠れている私の罪をお赦しください。13 あなたのしもべを、傲慢の罪から守ってください。それらが私を支配しませんように。そうすれば、私は全き者となり、大きな罪を、免れて、きよくなるでしょう。14 私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ。」

イエス様の十字架の血潮はすべての罪から私たちを清め、すべての悪から私たちを守ります。ハレルヤ!!