2021年11月20日土曜日

11月21日礼拝メッセージ「みこころに叶った願い」



晩秋の夜空に、隊を組み列になって飛んで来る白鳥の鳴き声が響いています。シベリアから白鳥が帰ってきました。
近くの高松の池を散歩すると、たくさんの白鳥が羽を休めている姿を見ます。「無事に帰ってきたね。お帰りなさい。」と思わず、声をかけてしまいました。
岩手の秋は駆け足です。
そろそろ初雪が降る時期になりました。

本日の聖書のことばは
ヨハネ第一5: 14 「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。15 私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」です。

大好きなワーシップ「喜べ叫べ」の2節に
「♪主は私たちを用いて御業を成し遂げられる、♪主の救いを全地に伝えよ。
さぁ、声を上げて♪」と歌います。
無から有を創造され、天地を治めておられる全能の主が、欠けだらけの私たち、小さな私たち、罪赦された罪人である私たちを、主の働きの一端に加わらせていただけるとは、
なんとドラマチックなことでしょう。
イザヤ6:8「だれを遣わそう。だれが、われわれのために行くだろう。」と言っておられる主の声を聞いたので、言った。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」

のみことばのように、神を愛し神の働きのために共に働くパートナーを、主は求めておられ、招いてくださっています。
「人の主な目的は何ですか?」「人の主な目的は神の栄光を現し永遠に神を喜ぶことです」
(小教理問答集)
ここに御心にかなった願いとは何か答えがあります。

滝元明先生の「我土方なれど」の本は、私の大切な宝物です。表表紙の裏に
〝足の裏でもいい。神の栄光のために生きよう〟と直筆のサインがあります。
足の裏は全身の中で誉められることのない部分ですが、最も大切な部分の一つです。
人から認められたり、人の称賛を求める生き方ではなく、
足の裏のように誉められなくていい、ただ、神の栄光を喜び、人々の救いを祈り、そのために生きることが、御心にかなった願い・祈りです。
御心に叶った願いを神は聞いてくださる。
これこそ、私たちクリスチャンの神に対する確信です。

祈りが叶えられることはハレルヤです、
同時に祈りが叶わなかった時は更にハレルヤです。

主はもっとすばらしいご計画を用意してくださっていると期待します。
神は御心に叶った願いを既に聞いてくださっていると知っているからです。
自分の願うタイミングで叶えられないときでも、
主が備えておられる最善の時があるので感謝です。
私たちは生涯工事中です。工事中なのでご迷惑をおかけすることもあります。
私たちを愛しておられる主は私たちの人格(内側)を絶えず工事して
砕かれた謙遜な品性を持つ
御心に叶う器へと工事し、取り扱い続けてくださるので 主に感謝します。


0 件のコメント:

コメントを投稿