2022年2月26日土曜日

2月27日メッセージ「栄光から栄光へ 」

 


メッセージ「栄光から栄光へ 」

  「神が唯一の完全なるお方であり、限りない栄光と恵みに満ちておられることを考えると、人間に起こりうる最高の恵みは、神を知ることである。

私たちは、神のみことばと、私たちの内におられる聖霊の働きを通して神をよりよく知るようになるにつれて、神が私たちに働きかけてくださるので、自分の内にある神の恵み深さを感じるようになり、神ご自身とその属性との栄光と麗しさにも気づくようになるのだ、と悟る。かくして神を知る特権を与えられた者たちは、もっともっと「主と同じかたちに姿を変えれていく」(コリント第二3:18) (聖霊に導かれて歩む366日より)

 イエス・キリストを信じた者の内には、聖霊が住まわれています。イエス・キリストに似る者へ造り変えられるのは、私たちの努力や決意ではありません。私たちの力や決意で変えられたとしても、それは一時的で外側だけの部分です。しかし、聖霊は、私たちに内住され、内側から継続的に変えて続けてくださいます。

私たちは、古い人(肉)が顔を出し、失敗をしてしまった時には、聖霊が悲しまれます。「神の聖霊を悲しませてはいけません(エペソ4:30)」とある通りです。その失敗を神の前に率直に祈ります。

 しかし、失敗をしてしまったたとしても、聖霊は悲しまれますが、私たちの内から出て行ってしまうことは決してありません。聖霊は私たちを執り成してイエス・キリストに似る者へと変えられていく働きをたゆまずなし続けてくださるのです。

「御霊も弱い私たちを助けてくださいます。私たちは何をどう祈ったらいいのかわからないのですが、御霊ご自身が、ことばにならないうめきをもって聖徒のためにとりなしてくださるのです。」(ローマ8:26)

礼拝は、神を知る恵み(聖霊の働きを通して私たちの内側を造り替えてくださる神様の恵み)を表現する幸いな交わりです。

  天の生き物が主を誉めたたえて「聖なる聖なる聖なる万軍の主、その栄光は全知に満つ」(イザヤ6)と、賛美に溢れていました。

 礼拝は、罪人である私たちが、ただ十字架の血潮によって、過去・現在・未来の罪を帳消ししてくださる主の恵みに応答し、賛美と感謝を捧げるところにあります。

神様の恵みは、一度に持ちきれる事はできなくても、「私の杯は溢れています」(詩編23:5)限りない恵みを溢れさせ、主の通り良い管に「新しく造り替えて」(コリント第二5:17)くださいます。


 「一つのことを私は主に願った。

  それを私は求めている。

  私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。

  主の麗しさに目を注ぎ

  その宮で思いを巡らすために。」(詩編27:4)


2022年2月19日土曜日

1月9日礼拝「目を覚ましていなさい」


 「目を覚ましていなさい」

「だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。」(マタイ25:13)

今日のテキストは、 花婿の到着を待つ、花嫁の友達10人の乙女のたとえ話です。花嫁の友達は花婿が到着してから、楽しい祝宴に向かう筈でした。しかし花婿の到着が遅れて、真夜中になりウトウトと居眠りをしてるさなか、突然、花婿が到着しました。

10人の内5人は賢く、油を入れ物に満たしていたので灯火を持って、すぐさま花婿と一緒に花嫁のいる祝宴会場に行くことができました。しかし5人は愚かで油の備えがなく、灯火が消えていたので、祝宴に入ることができませんでした。

 この花婿の到来は、イエス様の再臨のことです。聖書には、イエス様が十字架にかかり、3日目によみがえられたことだけでなく、やがて再び、この地上に戻って来られ、ご自身が始められた「神の国」を完成するとを約束されています(マタイ24、1テサロニケ4)今は主の再臨の前兆が世界中に見られる時代になっています。(マタイ24)まさに花婿の到着が遅れている真夜中と同じ状態、花婿がもうじきやって来る時代です。

 「その日」(花婿の到来、再臨)は喜びであり、私たちは「その日」を待ちわびています。この地上にあっては、信仰のゆえに、誤解されたり、受け入れられなかったり、悲しい思いもするのですが、主が全てを完成してくださるからです。

 イエス様は「見よ、私はすぐに来る」と約束しておられます(黙22:7)。でも神様の目から見ての「すぐに」と、私たちの思う「すぐに」は違います。聖書は「主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです(Ⅱペテ3:8)」と言っています。二千年間クリスチャンは主の再臨を待ちわび続けています。しかし、まだ実現はしていません。そこである者は「眠って」しまうのです。「心は燃えていても、肉体は弱いのです(ルカ14:38)。」今日のたとえ話の中でも、賢い五人も眠ってしまったとあります。そして「その日」は突然やってきます。「そら、花婿だ。迎えに出よ!」との声が響きわたるのです。その時、内面の違いが「明白に」されます。

 娘たちは、みな起きて、自分の灯火を整えました。その時、愚かな娘たちは、賢い娘たちに「油を少し私たちに分けてください」と言いました。賢い娘たちは「いいえ、店に行って、自分のを買いなさい」と答えました。その時が来てしまってから助けることはできないのです。

 再臨を待ち望む生活とは、油の備えがある生活、「放縦や深酒や生活の煩いで、心が鈍くならないように注意」(ルカ21:34)し、自分を聖く保ち、互いに愛し合い、落ち着いた日常生活です。むやみに怖がったりせず「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい」とも教えられています。それがすなわち「御霊を消さない(油を絶やさない)」賢いおとめの生き方なのです。

 イエス様では「神の国」を、「盛大な祝宴」「披露宴」にたとえて話され、

「祝宴を催す場合には、むしろ、貧しい者、からだの不自由な者、足のなえた者、盲人たちを招きなさい。その人たちはお返しができないので、あなたは幸いです。義人の復活のときお返しを受けるからです」(ルカ14:13-14)と語られました。

 自らの貧しさや弱さを認め、主の前に謙遜でへりくだった心は、神の国の祝宴の招きに喜んで応答します。

 日常生活で、週ごとの礼拝の主との交わり、神の家族の交わりや、日々の祈りとみことばでイエス様と個人的に交わり、御言葉と聖霊の励まし(油注ぎ)で魂を充足させ、主の福音に生きることが、神の国の祝宴の招きに応答していることです。

「子どもにとって、ほかのどんな場所よりも我が家にいる方が好きだというのはいい兆候だ。これが父なる神の家について、私たち一人一人にも当てはまるとしたら、なんと恵まれたことだろう。私たちがそう思えない理由は、そのことの喜びを十分に知らないからである。」(JBストーニー)



2月20日メッセージ「主は全ての災いからあなたを守る」

 

詩編121編7-8節

 「主はすべての災いからあなたを守り、あなたのたましいを守られる。

 主はあなたを行くにも帰るにも今よりとこしえまでも守られる。」


先週のみことば詩編91編「災いはあなたに降りかからず、疫病もあなたの天幕に近づかない。主があなたのために御使いたちに命じてあなたたのすべての道であなたを守られるからだ。」とともに、主の圧倒的な守りを宣言しているみことばです。


第二次世界大戦の頃のことです。イギリス軍にウイットゼイ大佐という人物がいました。彼の率いる連隊は全員が毎日朝晩、詩篇91篇を朗読して神に安全を祈ったそうです。彼の連隊は五年間激戦地に派遣されていました。他のほとんどの連隊は全滅したり、多数の死者を出していました。ところが彼の連隊だけは一人の死者も出なかったのです。

詩編91編、詩編121編のみことばを毎日告白して祈ることは幸いです。

主は私たちの避けどころです。親鳥の翼の下に身を寄せるヒナのように、主は私たちを守ってくださいます。御翼の影に身を寄せることとは、具体的に祈りのある生活のことです。祈らないクリスチャンは翼のない鳥のようだと例えられます。

毎朝祈りをもっって始まり、祈りをもって一日を終えること。祈りの時間を持つ事は幸いなことです。神様との親しい交わりは、力の源、魂と心が守られる秘訣です。

「力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。いのちの泉はこれからわく。」(箴言4:23)

疫病や災害など不安の材料が多い社会で、魂の葛藤を覚える毎日を過ごしています。人と人との正しさがぶつかりあって、深刻な悩みや問題を抱えている方々に多く出会います。

そのような中でも、ペテロ第一5:6-9は、信仰生活の勝利の秘訣を示しています。

 「6 ですから、あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。7 あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。

8 身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、歩き回っています。9 堅く信仰に立って、この悪魔に立ち向かいなさい。 」

 敵である悪魔は吠え猛る獅子のように食い尽くすべきものを探し求めています。

しかし、堅く信仰にたって悪魔に立ち向かい勝利を手にすることができます。

それは、神の御手にへりくだることです。へりくだるとは、自分の力に頼ることをやめ、神を避けどころとすることです。また、思い煩いを神に委ねることです。

その結果、罪から来る災いや悩みを避けることができます。

2022年2月12日土曜日

2月12日メッセージ 御翼の影~ 神様の圧倒的な守り~

 詩編91編のテーマは「神様の圧倒的な守り」です。


 

 【御翼のかげ】

  詩編にしばしば記されている”御翼の影”とは?神様の圧倒的な臨在を

 現すことばです。神様は愛するひとりひとりを、神様の圧倒的な臨在の中で守ってくださる力強い約束のことばです。

「ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、わたしを  しえたげる悪しき者から、わたしを囲む恐ろしい敵から、のがれさせて  ください。」詩編17:8、9  

「神よ。あなたの恵みは、なんと尊いことでしょう。人の子らは御翼の   陰に身を避けます(詩36:7)」

「神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。私のたまし  いはあなたに身を避けていますから。まことに、滅びが過ぎ去るまで、  私は御翼の陰に身を避けます(詩57:1)」

「私は、あなたの幕屋に、いつまでも住み、御翼の陰に、身を避けたいの  です。セラ」(詩61:4)」


  火事で焼け死んだめんどりの実話です。めんどりは、焼け焦げた姿で発見 されました。ところが、その下に 生き延びたひな鳥がいたのです。めん どりには翼がありますから、飛んで逃げ去ることもできたでしょう。しか し、めんどりはじっと動かず、自分の命を犠牲にしてひな鳥を守ったので す

 イエス様は十字架を前にしてエルサレムを涙して祈りました。「ああ、エ ルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石 で打つ者、わたしは、めんどりがひなを翼の下にかばうように、あなたの 子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好 まなかった(ルカ13:34)」。

  イエス様の十字架の血潮によって贖い出された私たちを神様は圧倒的な臨在(雌鶏の翼の下)で魂と霊とすべての領域をい包み、守ってくださることを詩編は語りかけています。

 「わざわいは、あなたにふりかからず、えやみ(疫病)も、あなたの天幕に 近づかない。11 まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、 すべての道で、あなたを守るようにされる。」  「御使いはみな、仕える 霊であって、救いの相続者となる人々のために遣わされたのではありませ んか。(ヘブル1:14)」。



 

  「彼がわたしを愛しているから、わたしは彼を助け出そう。」


2022年2月5日土曜日

2月6日メッセージ「 すべての道で主を認めよ」

 

「心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。6 すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」(箴言3:5-6)      

箴言3章は1節から12節までに繰り返して「こうしなさい」「そうすれば」と約束されています。

聖書には、神様の恵みにあずかる秘訣が明確に示されています

  マタイ6:33

 ピリピ4:6-7    創世紀12:1-3

 使徒16:31      出エジプト20:6

世界を統べ治めている神様は、揺るがない正確な道筋を持っています。それに私どもが当てはまるとき、神様は速やか確実に恵んでくださいます。

反対にそれからずれると、恵みを受けることができません。非常に明確です。神様の祝福、恵みは、すべての人に注がれています。神様がこうしなさいと求められるところに従って、「はい」と、自分を当てはめると、瞬時に恵みを注いでくださいます。それが聖書でいう、神様に委ねることです。


「すべての道で主を認める」は、子ども賛美歌のフレーズ「主イエスと共に」の通りです。「主イエスと共に歩きましょう、どこまでも、主イエスと共に歩きましょういつも。嬉しいときも悲しいときも、歩きましょうどこまでも、主イエスと共に歩きましょう。いつも」幼い頃、子ども礼拝で楽しく歌っていた子ども賛美歌を時々口ずさみます。その通りだと思います。

「Walking With Jesus Walking everyday All along the way、Waliking in the sunrise Walking in the shadow Walking everyday All along the way]そのまま訳すると「日向の道も陰りの道も、いつでも毎日、すべての道でイエス様と一緒に歩きましょう」と歌います。箴言3:6の通りの賛美です。

①主を畏れる生き方

箴言3:7「自分を知恵ある者と思うな、主を畏れて悪から離れよ」

詩編16:7 「私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。8 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。」

 

②すべての恵みの源は主であることを認める生き方

箴言3:9「あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。」

詩篇118:24「これは,主が設けられた日である。この日を楽しみ喜ぼう。」