2021年12月24日金曜日

12月26日礼拝メッセージ「一番大切な備え」

 


今年も残すところ、5日となりました。主に守られて1年間、毎週礼拝を献げ、御言葉に励まされて歩むことができました。感謝します。

新しい年を迎えるために各家庭では新しい気持ちで年を迎えるために大掃除をしたり、新年のための備えをするために大忙しかと思います。受験を控えている方々は今は最後の追い込みの時期。いろいろな想定外の事態に備えて幼稚園や保育園では毎月、避難訓練を行います。人生は備えることの連続だなぁと思います。


今年の最後の礼拝のみことばです。

聖書では「あなたの神に会う備えをせよ」(アモス)と語っています。

 イスラエルが罪を犯したので、神は何回となく疫病や戦争、飢饉を送り悔い改めに導こうとしました。しかし、なかなか悔い改めないので、神は預言者を通してメッセージを送りました。私たちはいつの日にか、神の前に出る時が来ると聖書は教えています。だから神に会う備えをするようにと教えています。

イエス様は2000年前に一度来られました。クリスマスです。その目的は「御自身をいけにえとして献げて罪を取り去るため」(ヘブル9:26)でした。キリストは「自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。」(ペテロ第一2:24) ことによって、「私たちのそむきの罪が、東が西から遠く離れているように、私たちから遠く離される。」(詩篇103:12)ためでした。神が私たちの罪を取り除くとは、罪を赦すたけでなく、完全に忘れるということです。これは驚くべきことです。完全な忘却です。私たちはたとえ人の罪を赦したとしても忘れることはありません。それば自分が傷つけられたことであればあるほどです。しかし、神の赦しは、完全な忘却です。それゆえ、私たちは自分の犯した罪のゆえにさばかれることは全くないのです。完全な一回的な罪のいけにえとしてご自身をささげられました。それは私たちの罪を完全に赦し、神に永遠に受け入れられるためです。永遠のかかわりを保障するためです。このことはすでに二千年前の過去に、完了した出来事でした。

そしてイエス様は再び来られます。再臨です。

テサロニケ第一4: 16 「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。」

今の時代は、イエス様の再臨が近いです。いつかわかりませんが、その日が来ます。イスラエル民族が、四百三十年間奴隷生活をしました。聖書には、このことについてイスラエルは「四百年間」奴隷となり、解放されると書かれていますが、結局は「四百三十年」後に解放されました。だから、イエス様が来られるのは三十年延びるか、百年延びるか、千年延びるのかわかりません。しかし確かに、イエス様が来られます。マタイの福音書二十四章四十四節に、『だから、あなたがたも用心していなさい。なぜなら、人の子は、思いがけない時に来るのですから。』と記されています。いつイエス様が再臨されるかわかりませんが、思いがけない時に来るので、あなたがたはいつでも神に会う準備をしなさいというのです。ルカの福音書二十一章三十六節に、『しかし、あなたがたは、やがて起ころうとしているこれらすべてのことからのがれ、人の子の前に立つことができるように、いつも油断せずに祈っていなさい。」』と記されています。今日、もしもイエス様が来られたとしても、もし召されることがあっても、神の前に喜んで立つ準備をしておかなければなりません。「神に会う備えをしなさい」ということについて、人は一度死ぬことと、死後、神の前でさばきを受けることは決まっていると聖書は教えています。このことを信じても、信じなくても、人は一度は死にます。死んだ後に、神の前に出てそれぞれの行いに対して、神のさばきがあると教えてます。イエス様を信じたら罪は十字架で赦されて、天国に入ることができます。また、信じていなかったら「滅び」と書かれていますので、私たちはイエス様にお会いする準備をしなければなりません。

『彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」』

 トルストイの「愛のあるところに神がいる」で靴屋のマルチンは知らずして、イエス様にお会いし喜んでいました。

 新しい年を迎えようとしています。聖霊に導かれて、喜んで主を迎えることができますように。主を喜んでいきましよう。




0 件のコメント:

コメントを投稿