アドベント第2週の礼拝、2本目のキャンドルが点火しました。
本日の聖書のことばです。「子たちはみな血と肉と(肉体)を持っているので、主(イエス・キリスト)もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。」 ヘブル人への手紙 2章14節~15節
クリスマス、神の子イエス様が、人としてこの地上に来られた目的について、ヘブル人の手紙では「一生涯、死の恐怖に繋がれて奴隷となっていた人々を解放してくださるため」と記しています。
クリスマスメッセージは「恐れる事はありません」から始まっています。マリヤに天使ガブリエルからの受胎告知(ルカ1:30)、ヨセフに夢の中で天使が告げたメッセージ(マタイ1:20)。羊飼いたちに天使が告げたメッセージ(ルカ2:10)。すべて「恐れることがありません」からクリスマスストーリーは展開しています。
聖書には365箇所「恐れるな」という御言葉があります。1年365日、毎日「恐れることはない」と主はみことばをもって語りかけています。
イエス様がお生まれになった時代、ユダヤの人々は恐れに支配されていました。ローマ帝国の圧政下、人権は踏みにじられ、重税を取りたてられ、ユダヤを治めていたヘロデ王様は、「ユダヤ人の王の誕生の知らせ」を聞いた時に、妬みと怒りから、イエス様や生まれた街、ベツレヘムの2歳以下の男の子を全員虐殺するという残虐極まりない極悪非道な独裁王でした。苦しい生活を余儀なくされてた人々、だからこそ、恐れから解放してくださる救い主「メシア、キリスト」を待ち望んでいました。
時代を超えて、全人類共通に、恐れルーツは「死の恐怖」と繋がっています。しばしば、マンションや駐車場に「4」や「9」のつく番号が欠けているのを目にすることがあります。それは、「死」や「苦しみ」を連想させるもとして嫌っているからです。
ルカによる福音書8:43-48に記されている長血を煩っていた婦人も「病気が治らなければ死んでしまう。」という恐れに支配されていました。が、イエスの御衣の房(聖書の約束のみことば))に触れれば必ず治るという信仰で癒やされました。
なぜ人は死を恐れるのでしょうか。それは、良心に罪の意識があるため、本能的に死後に苦しみの場所があると知っているからなのです。
聖書では、「人間には、一度死ぬことと、死後にさばきを受けることが定まっている」(ヘブル人への手紙9章27節)と書かれてあります。天地をお造りになった真の神は、私たち人間の行いや心の中の隠された悪い思いも全て知っておられます。そして、必ず罪に対して刑罰をお下しになります。その刑罰とは、「悪魔とその使いたちのために用意された永遠の火に」(マタイの福音書25章41節)投げ込まれるという恐ろしい刑罰なのです。
ですから、死後のさばきから救われない限り、人は死の恐怖から解放されないのです。
神は、人を死の恐怖から解放するために、救い主をお与えくださいました。その方こそ、約2000年前に人としてお生まれになってくださった神の御子イエス・キリストです。キリストが、私たちと同じ肉体(受肉)をとられたのは、実に十字架にかかって死なれるためでありました。
キリストは、人類のすべての罪を背負い、十字架の上で私たちの身代わりに刑罰を受けてくださったのです。そして、キリストは葬られた後、死を打ち破ってよみがえられ、天に帰って行かれました。誰でも、イエスを救い主として心に迎え入れるならば、、罪の赦しと永遠のいのちが与えられます。
神の御国である天に入る者とされるのです。ですから、キリストを信じた者にとって、キリストが永遠の命となって、私たちの心に住んでくださり、死はもはや恐怖ではありません。むしろ、天の入り口に変えられているのです。
死の恐怖から完全に解放されます。
イエスを救い主、人生の主として心に迎え入れ、本当のクリスマスを体験されますように祝福をお祈りしています。
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